2019年06月

04319
東欧の映画は、心にずしりと響くなぁ。人は何故幸せになろうとしないのだろう。
ポーランドの風景が美しかった。社会主義体制下で、自らの音楽の表現に限界を感じた男女が、次々に亡命する。しかし、二人が移り住んだパリは、享楽とカオスが渦巻き、それに耐えきれなかった女は、ポーランドに帰る。それを追った男は亡命の罪で服役…。
哀しい人生である。彼女の歌はそれを反映して、明るく伸びやかな声質が、年月を経て変質する。この映画の結末を予感させるかのように。
まさに文学だ。東欧の映画はこれがあるからやめられない。

04119
面白かったですよ。岡田准一がキレキレで、ジャッキーチェーンみたい。詳しくは後ほど。
日本でアクション映画は、なかなか根付かないのだけど、岡田准一は世界に通用するアクション俳優でしょうな。スタンマンを使わないという確固としたポリシーのもと、キレッキレの演技を見せる。もはや芸術でしょうな。
しかし、この作品ではアクションシーン以外の馬鹿っぽい演技も面白かった。普段はシリアスな役どころが多いのだが、この人は芸の懐が深い。
脇もよかった。木村文乃と山本美月の魅力が十分発揮されていたし、ヤスケンと柳楽優弥の微妙な兄弟愛も見どころだったな。

営業職の友人が取引先のオエライさんのカラオケ好きに悩まされている由。何か仕事が一段落すると、打ち上げという名の飲み→カラオケスナックというコースらしく、すべてこちらの接待。店のネエチャン達も心得ていて、そのオエライさんが歌うときはうっとりとした顔をして、歌い終わるとパチパチ拍手して、「素敵!」などと言うらしい。オエライさんは調子に乗って10曲以上は歌うのだそうだ。
んが、問題は、歌がド下手なんだって。それも水平線の果てまでの全生物が耳を塞いで悶絶するほどの酷さなんだって。カラオケの機械がケム出してぶっ壊れないかとヒヤヒヤする。ネエチャン達は、きっと隠れてこそこそ耳栓をしているに違いない。安倍ちゃん、カラオケ禁止令でも公布してくれないかなぁ…などとしみじみ言っとった。
 
落語の「寝床」だ。気持ちは分かるぞ。下手なのはしょうがないけど、何故に独りカラオケにでも行かないのかな。って言ったら、そいつは自分のこと下手だとは1ミリも思っていなくて、寧ろ自分の声にいつもうっとりするくらいとても上手だと思っていて、みんなに聞かせたくて仕方ないのだそうだ。わ。わわわ。本当に寝床の大家ぢゃん。君ィ、大変だねぇ。マンツーマンで聞かされないよう気をつけたまえ。
 
寝床の大家は不滅だ。現代でもそこかしこに潜んでいる。怖いなぁ。
 
おしまい。
 

池井戸潤のドラマは毎度ご都合主義の結末が好きではないが、サラリーマン社会を分かりやすく戯画化しているのが人気の秘訣。まるで歌舞伎。現実世界では本当に悪い奴はあんなに分かり易くない。善人による裏切りや梯子外しなど普通に起こる。
終身雇用が絶滅した世の中では、上意下達や自己実現などという黴の生えた概念は既に過去の遺物。出世や肩書きなどという実体のないものに拘泥して家族や自らの健康などを犠牲にするほどアホらしいことはないのだけど、哀しいかな、なかなか達観できないのが人間という生き物なのでしょうな。
 
昨晩は、戸越銀座の「小料理 あさひ」で、月に一度のフルコース・飲み放題の日。今回は鰯祭で、南蛮漬け、刺身になめろう、一夜干、鯵フライ(これが絶品!)、梅葱巻天麩羅と続いて、つみれ汁と新しょうがの炊き込みご飯(鰯飯)が締め。この時期の鯵と鰯は脂が乗っていて、臭みの無い独特の旨みを発揮する。これが東京の味で、飲兵衛には堪らない季節なのである。すっかり堪能した。
ご主人の古川さんは、まだ若いのに、オーソドックスながら素材を活かした料理を供する天才である。池上線沿いにこのような隠れ家があることは僥倖である。
 
本日は給料日。昨年ふるさと納税を乱発した影響で、住民税が少し安くなっていた。この制度がいつまで続くか分からないが、定年までは利用させて頂こう。
 
おしまい。

04019

こじらせ男女5人が織りなす不健康な恋愛模様。相手ばかりか自分自身の立ち位置も見失いながらも相手から去る勇気もない。優柔不断とストーカーとが混じりあいながら面倒くさい日々を送る。観ていて苛立ちしか覚えない。何故、こんな作品が評判になっているのだろうか。そんな感想を覚えた。しかし、ストーカー気質の人々にはかなり共感を呼んでいるとか。所詮、映画に何を求めるかで、評価が二分されるのだろな。これ以上の感想はありません。
 

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